大人になるということ

僕はきっと大人になるということをどこか勘違いしていたのだろう。それはたとえば思慮深く行動することを、人の目を恐れることと取り違えていたこと。それはたとえば忍耐強くなることを諦めがよくなることと取り違えていたこと。それはたとえば人を頼りすぎないことを人を信じないことと取り違えていたこと。数え挙げればきりがない。取り違えた結果、大人らしさとは真逆に泣き虫な子供のようになってしまった。大人になるとは決して自分を殺すことではなかったはすなのに、挙げただけでも、人の目にビクビクして、すぐ諦めて、人を疑って、とてもじゃないがまともな大人のやることとは言い難い結果になってしまった。明らかにかけ違えてしまった。俯いてばかりいて、それを見通すことすらできなかった。前を向けば、顔を上げれば、すぐに分かったことなのに、そんなことさえ見過ごして、泣いてばかりいた。見えるものも見ずに、勝手に真っ暗な世界にいた気になっていた。勝手に不幸になっていた。でも、この美しい世界をもう一度まっすぐ見据えれば、それは間違いだと少し信じてみる気になれた。思慮深く行動することは色々な場合を考えて能動的に行動を選択することであって、決して行動を躊躇することではない。ある程度考えたらむしろ動き始めて、あとはなんとかなる、ともう少し気楽にいけばいいんだ。考えつつももっと動いて、失敗だって糧にして、むしろ粘り強く生きる。かつての自分はできていたこと。余計なことばかり考えないで、今できることからやっていこう。