笑顔

人の笑顔というものはいいものだ。元気づけられる。

もちろん、「嗤う」顔ではない。「笑顔」のことだ。

あんな、闇を足に纏わりつかせてくるような「嗤う」顔のことを笑顔だなんて呼ぶことはない。紛らわしいなあ、どうして楽しさを表現するのも嘲りを表現するのも同じ「わらう」という言葉になってしまったのだろう。こういうときに、言葉というものは不便なものだと思うのだ。後者には一応「嘲笑う」という言葉があるが、日本語において「わらう」という言葉はどちらの場合にも頻繁に使われるので、あまり区別に寄与していないように思う。それとも、同じ言葉で表される通り、両者に本質的な区別は必要ないのかもしれない。勝手に僕が区別したがっているだけで、本当は表出としては同じなのかもしれない。たしかに直接間接の違いはあれども両方とも「快」の感情表出なのだから。

それでも自分はこれらを別のものとして扱いたい。他人の失敗や落ち度、欠点や不幸を「快」と感じるような感性は望んでいないからだ。楽しいことをして、一緒に笑い合いたいのだ。子供っぽいことを言っているとは分かっている。それでも僕は、人の不幸を悲しみ、人の幸せを喜ぶ、そういった瑞々しさをもって生きていきたい。人を笑いものにするような悪い自分なんていらない。

夏の青空を一滴だけ落としたような笑顔で、いつまでも生きていきたい。それが僕の唯一絶対の願いだから。